護国プログラム05…人を束ねる3つの力

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出典を忘れてしまったのだが、私は「人間の集団を束ねるには権威・武力・カネの3つの力が必要」という洞察を全面的に支持する。とはいえ、人間の本音に直接働く磁力のようなものなので、言葉で完全に説明することは難しい。強いて表現すればこんな感じだろうか。

 権威:上位への尊重を否応無しに強いる力
 武力:敵意に直接対抗する力
 カネ:円滑な社会生活を保証する力

宗教色が薄いとされる日本ではあまり意識しないが、権威と宗教はどの国でも深く関わっている。政府が宗教を禁じた国も存在したことがあったが、やはり政情不安となり、結局宗教の自由を認めることになった。人間を束ねるには、超常の存在と繋がっているものが必要らしい。
残る二つの力、武力とカネの関係は米国と旧ソが典型例だろう。距離が適切であれば技術革新を促して新しい価値を生む(米国)。しかし武力とは最大の浪費なので、カネと癒着するとその国の経済を破綻させる(ソ連)。

日本における権威・武力・カネのバランスの模索は、仏教が伝わった6世紀から始まる。
現代に伝えられている神道はご皇室に繋がるエピソードの集積で、当時の日本人の世界観を伺うことはできる一方、それ以上の意義に乏しい。そこに輪廻と修行を是とする仏教が伝わり、神道と矛盾せずに意義の乏しさを補完できた。その後、神仏習合と称して一つの宗教体系として再構築され、坊主は増長していく。
(平安京に至る一連の遷都は、皇室が坊主の政治介入を嫌ったためとする説がある。)
そして平安から室町にかけて、坊主は神仏の威を笠に着て暴れまわった。これを強訴と呼び、とりわけ興福寺・延暦寺の強訴に時の権力者は非常に手を焼いた。
この坊主の暴走を止める切欠を作ったのは暴君とされる足利義教で、後の織田信長の比叡山焼き討ち、豊臣秀吉のキリスト教弾圧に繋がる。しかし徳川幕府は仏教を利用しつつ時間をかけて権威を削いでいきまた家康が神となることで天皇の権威も削ごうとした。
参勤交代で武士からカネを奪い、天才勘定奉行荻原重秀が貨幣改鋳を重ねて、経済成長に見合う通貨量を維持した。時の将軍は生類憐みの令で有名な綱吉だったが、権威の簒奪を焦らなかったのだろう。東山天皇を敬い、幕府と朝廷の関係は非常に良かった。こうして、奇跡的な人材配置と活躍により、下図のような理想的な権威・武力・カネの関係が元禄時代に出現する。

権威・武力・カネが適度な距離を保つ

・島国の日本では外様の逃げ場が無く、確実に力を削がれた。
・鎖国後、幸運にも最強国スペインは凋落の一途を辿り、日本どころではなくなった。
・オランダ以外の外国が日本に接触し始めるのは元禄の約100年後。
・佐渡から金が潤沢に供給された。
これら日本の立地上の幸運も大きい。

18世紀に入ると、貨幣経済の発展でカネが都市に集中した。農作物は年に数回しか収穫できないが、モノやサービスといった人工物はいつでも売れるためであろう。またこの頃は間氷期と言われおり、気温が総じて低かった上に地震や火山噴火が頻発した。そのため凶作になりやすかったことも追い打ちになったらしい。一次産業は富の都市集中と気候変動に翻弄され、石高で格付けされる武士社会は税収の悪化とともに弱体化していく。下図のようにカネの循環が乱れ始め、それを是正するための改革が行われた。しかし農民に不自由を強いることがベースにあり改革は失敗した。
いや度重なる天災に人知が敗けたと表現するべきかもしれない。
武家社会は税収悪化に加え、参勤交代と改易で幕府に逆らう理由と財力が薄まってしまい、武力集団としての役割が形骸化していく。その中で虐げられた外様と下級士族の戦闘意欲は残された。

カネの流れから外れる人々が増え、武力も形骸化

19世紀に入るとロシアの東方進出が日本に届き始める。戦争が久しく無かった幕府は適切な有事対応が出来ず、ロシアと一触即発に陥るが、ナポレオン戦争と重なったため日露関係は曖昧なまま終わる。当時、長崎のオランダ商館が提出する「オランダ風説書」が唯一の海外情報で、ペリー提督の訪日は事前に知っていた模様だが、強引に横浜に上陸され、日米和親条約を結ばされる。
以降、オランダ、イギリス、フランス、ロシアと同様の条約を締結、日米通商修好条約に至る。
日米修好通商条約において、日米で金銀貨の品位差があるのに交換レートが決まってしまい、大量の金が国外に流出する。更に居留する外国人に家族帯同を認めてしまったので、禁教令が有耶無耶になっていく。江戸幕府が250年かかって築いた権威・武力・カネの関係がほぼ同時期に壊れてしまった。危機感を持ち、戦闘意欲を失わなかった外様が徳川幕府の権威を脅かし始める。

武力に対抗できず、外国の権威(キリスト教)に
侵入され、カネが流出。代わりに外様が台頭。

ここで疑問が起こる。徳川の治世を揺るがしたのがキリスト教圏の武力なら、なぜキリスト教に靡く外様が出てこなかったのか?長く虐げられてきた以上、徳川・天皇とも義理立てする根拠が薄い。実際、1851年に洪秀全がキリスト教に基づく太平天国を建国し、清朝に反乱を起こした。
圧倒的な武力を目の当たりにしてもキリスト教が日本で支持されなかった理由は、前述のように支配階級は興福寺・延暦寺で宗と武の接近に懲りており、朱子学に基づく思想統制が広く行き渡っていたからであろう。高名な儒学者 新井白石にこんなエピソードがある。
1709年、日本人に化けたイタリアのカトリック司教シドッチは屋久島で捕らえられ、新井白石に尋問される。

新井白石「キリスト教など荒誕浅陋。議論する価値など無い。」(西洋紀聞)

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